みやまえ人Story

みやまえ人Story VOL.3 塩沢節子さん

ずっと住み続けたいまちに。これからも愛すべきまちに。

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塩沢節子さん VOL.3

宮前区土橋在住・宮前平在勤(山形県出身)

1963年2月26日生まれ

チューリップルーム主宰・園長

宮前まち倶楽部コネクション:『みんなのツリー2nd Season 2015』(もみの木の飾り作り&飾り付け@ラーナイロア&WMカフェ。ありがとうございます♪)

 

今から18年前、次女がちょうど3歳になった頃だった。自宅で、自分の子どもと一緒に、ご近所のお子さん数名を預かって保育を始めた。それが現在のチューリップルームの前身。長女はすでに幼稚園に通っていた。次女もそろそろそんな場を与えてあげたい、そう思って探したものの、ここという預け先が見つからなかった。だったら自分でやるしかない、そう思って始めたのがそもそもの始まりだ。1歳から2歳までの、まだおむつの取れていない赤ちゃんから年少までのお子さんを10名ほど預かることとなった。自宅での保育から始まり、その後、場所を転々としながらも、17年前、現在の場所に、子どもの心を育む幼児園『チューリップルーム』を開園。現在、1〜6歳までの異年齢の子どもたちを20名、総勢6名のスタッフとともに保育している。この4月で19年目を迎えた。

最初は1〜3歳児の、いわゆる就園前の子どもだけを預かっていた。その後も、引き続き預かって欲しいという要望が出てきて、年少クラスが出来た。そしてその数年後、年中・年長クラスが出来た。正直、年中・年長クラスの開設など、チューリップルームを運営していく中で、全く構想にはなかった。尊敬する、りんごの木の代表・柴田愛子先生に“頑張れ〜(大きい組作れ〜)”って言われたときも、出来ない率=やろうとしない率=120%だった。それだけ年中・年長クラスを作るなんてことは、あり得なかったことだった。それが、チューリップルームに在籍していた子どものたった一言で、始めることになった。

「しおと2人でいいから、チューリップ幼稚園がいい」。

そう、Sくんが言ったのだ。このたった一言で、覚悟は決まった。チューリップルーム年中・年長クラスがスタートすることになった。

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Sくんはチューリップルームに1歳時から3年間、いわゆる年少クラスまで通っていた元気な男の子だった。その当時、チューリップルームには年中以上のクラスがなかったため、必然と、区内の大きな幼稚園に通うこととなった。やりたくないことはやらなくていい、子どものことは子ども同士で解決する、そんなチューリップルームと幼稚園では、勝手も方針もまるで違っていた。幼稚園生活にも慣れ始め、夏が過ぎ、秋になり、いつの頃からか、Sくんは幼稚園に行きたくないと言うようになった。「先生がこわい」と。Sくんは遊ぶのが大好きで、元気がよく、子どもたちを取り仕切るリーダー的な子だった。みんなと仲良くしなければいけないことはわかっている。でも、悪いところばかり注意される。怒られる。そんな日が続いた。

チューリップルームでは、自分がやりたくないと思ったことはやらなくてよかった。それが、認められていた。自分がやりたいことをしていればよかった。子ども同士のトラブルも、子どもたちで解決することを基本としている。保育士は子どもたちの力を信じて見守る保育をしている。

それが所変われば事情も変わる。Sくんは言うこと、やること、すべて否定されるようになった。全人格否定された、そう、そんな感じだった。やっていることは確かに悪いのだけれど、ね。

こわいから、行きたくない。そうしたジレンマの中、チューリップルームの保育終了後に開催されているチューリップクラブに顔を出すようになった。参加している子どもたちに、「今の気持ちを色で言うと何色かな?」と聞いてみた。Sくんの答えは「グレー」だった。Sくんをぎゅっと抱きしめたい気持ちでいっぱいだった。

Sくんは何とか幼稚園に通いつつも、意思の疎通が出来ないまま、だましだましやってきて、とうとう12月、幼稚園の発表会の日がやってきた。発表会など、S君はやりたくなかった。発表会前日、お母さんが聞いた。「どうしてそんなに発表会をやりたくないのか?」と。Sくんは言った、「白いタイツがどうしてもイヤだ」と。男気いっぱいのS君には、それがどうしても許せなかったのだ。その言葉を聞いて、S君のご両親は、これまでのS君の気持ちをくみ取り、「やりたくないのならばやらなくていい」と、全く期待せずに発表会を見に出掛けた。それが予想を大いに翻して、当日、S君はきちんと発表会での役を演じきった。前日、「白いタイツがどうしてもいやだ」とあれだけ話していたのに。しっかりとやり通したのだ。両親はその姿に本当にびっくりしたという。どうしたのと聞くと、S君は「みんなの前で、やらないわけにはいかないだろ。」と答えた。そうそれがS君らしい、男気あふれるスタイルなのである。

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それでもやっぱり、幼稚園には行きたくなくなった。お母さんは行かなくてもいいと言いながらも、やはり内心は行ってもらいたいと思っていた。そこで私は、勝負に出た。お母さんの次に、いや負けないくらい信頼のおける私に任せてくれ、私が連れて行ってみせるとお母さんに約束して、朝、S君の自宅に迎えに行った。チューリップルームで一緒だった同じバス停のKちゃんと一緒に迎えに行って、幼稚園のバス停へと向かった。今日は幼稚園に行けるかな、そう思った矢先だった。やっっぱり行きたくないと泣いた、暴れた。押さえつけたけど、どうしようもなかった。心の底から行きたくないとないと、本当にイヤなんだと、泣いて暴れて抵抗する。靴は脱げて、私は引っかかれたのかどうしたのか、血が出るほどの傷を負いながらも抵抗するSくんを羽交いじめにして抑えようようとした。でももうこれはダメだ、「もう、行かなくていい!!」、私はそう叫んだ。「それは、本当なのか!」とS君も叫んだ。「私がウソついたことあるか!」の返事に、S君はやっと、自分を取り戻した。S君はいいけど、Kちゃんは幼稚園に行くバスに乗せることになっている。慌ててバス停に向かったけれど、バスはとっくのとっくに行ってしまっていた。「行っちゃった。」とりあえずしょうがないので、3人で、バス停そばの公園でブランコに乗った。仕方なく、お母さんに、幼稚園には行かない方がいいということを伝えた。お母さんは、しおでもダメだったかと落胆した。お母さんはそれでも、幼稚園側に、何とか見てもらえないか、見て欲しいとお願いをした。そこで、言われた。「お母さん、幼稚園はSくん一人のための幼稚園じゃない。」そう言われて、泣きながら帰ってきた。お母さんは自主保育や保育園など、いろいろ回って、S君の居場所を探したけれど、自ら幼稚園の先生であったお母さんが納得出来る預け先は見つからなかった。そして、相談された。「昨夜、Sはしおと2人でいいからチューリップ幼稚園がいい」と言っていたと。

私は、雷に打たれた想いで、その言葉を受け止めた。そして改めて、思った。「チューリップルームはみんなのための幼稚園ではなくて、たった1人のための幼稚園でありたい。大切な1人がいて、みんながいる。そしてみんなでいることが良かったねと思える幼稚園でありたい」と。

そう決めた翌日。以前から気になっていた物件を借りることにした。再度、Sくんに確認した。「とにかく、しおなんだよ。とにかくチューリップなんだよ」、それがSくんの返事だった。

こうして、チューリップルーム年中&年長組クラス=ひまわり組が誕生した。S君と私、2人だけのクラスが誕生することとなったのである。

この話を聞きつけて、チューリップルーム年少クラスまで一緒で、さらに一緒の幼稚園に進んだKちゃん、Yくんも加わることになり、チューリップルームひまわり組は、しおを含めて4人でスタートした。

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そんな「1人のための幼稚園でありたい」という想いが生み出した、こんなエピソードもある。

Hちゃんはかなり重度のアレルギーがあった。卵がダメ、小麦粉がダメ、バターもダメ、“乳”という言葉がついた成分すべてに対してアレルギー症状を起こす。それは時に命の危険性を引き起こすほど重症なものであった。身体中にアレルギーの発疹があり、Hちゃんはいつも痒くそうにしていて、誰もが見るからにかわいそうに思うほど、重度のアレルギーを持つお子さんだった。

チューリップルームでは、保育の際に給食を提供している。我が子に食べさせるという感覚で、保育者自らが給食を作って、保育者も子どもたちもみんな、同じものを一緒に食べる。私=しおが作るから、通称“しお弁”。また、スタッフの冨田さん(とみぃ)が作ると、通称“とみぃ弁”となる。お昼の時間になると、子どもたちが持ってきた空のお弁当箱に、自分の食べたいものを食べれる量だけ詰めて、大好きな給食の時間が始まる。そんな楽しい時間に、Hちゃんは加われない。食べなくても、触っただけでアレルギーを発症したり、アレルギーのある食材を使用した調理器具で調理しただけでも反応が出てしまうこともあるため、保育士たちはみな注意を払っていた。だからHちゃんだけは、毎日、お母さんの手作り弁当だった。みんなと一緒のものを食べるということをHちゃんだけは叶えられずにいた。それでも何とか共有の時間を持たせたい、何とかならないか。そんな想いで始めたのが、週に一度のお弁当タイム=ママ弁の日。毎日の給食をやめて、週に一度はHちゃん同様、お母さんの手作り弁当を持ってくるようにしてもらえないかと、保護者にお願いをした。保護者にしてみれば、小さなお弁当ひとつでも、面倒といえば面倒なもの。だけれど、お手紙を書いて、きちんと説明することで、みんなが快く受け止めてくれた。他の子どもたちにとってもお母さんの手作り弁当はやっぱり嬉しいもの。Hちゃんにとっては週に一度だけでも、自分と同じように、お友だちも同じ、お母さんの手作り弁当をいただくということは嬉しかった。そして何よりも、Hちゃんのお母さんも嬉しかった。みんなが理解して受け入れてくれたこと、我が子がみんなと同じ時間を共有出来ること、涙を流して喜んだ。そう、みんなと一緒がいいというのは、子どもはもちろん、親ならやっぱり出来ればそう願うもの。Hちゃん、そう、大切な1人のために。そう、みんなが思えたからこそ、お弁当タイムが実現した。

現在も、チューリップルームにはアレルギーの子はいる。そして現在もなお、週に一度、ママ弁の日が続いている。

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チューリップルームでは、みんなが楽しみにしている給食をいただく前の儀式がある。

『鶴のように、つるつる飲まず、
  亀のように、よく噛め噛め。
  あなた方の命を私たちの命にさせていただきます!』

お当番さんが声掛けすると、みんな手を合わせて一斉に大合唱。それから、楽しい給食タイムがスタートする。2年前、沖縄から引っ越して来たCちゃんが通っていた幼稚園でのごあいさつが、そのままチューリップルームでのごあいさつとして定着している。

そしてもう1つ、チューリップルームの食へのこだわり。それが毎月11日の「粗食の日」。5年前の3月11日に起きた東北大震災のことを忘れないようにとの想いから、食べられること、電気がつくことが決して当たり前ではないこととであることなどに感謝をして、みんなでおにぎりを作っていただくそんな給食の日もある。

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本来、子育てというものは、みんなでするものだと考えている。単に、親が、保育士が子どもを育てるなんて単純なものではないと考えている。子どもを育てることと一緒に、親も保育士も共に育ち合う、成長していくものだと思っている。親も保育士も、子どもから教わることは本当にたくさんある。だからこそ、チューリップルームでは、保育で大切にしていることが3つある。1.自分で決めること、2.感情を出し切ること、3.体験すること。子どもだからと決めつけない、何でも大人が決めつけない、子ども一人ひとりの個性を大切にした保育を目指している。

  1. 自分で決めること

誰と手をつないで公園に行くか。どこに座ってごはんを食べるか。出来るだけ子どもたちが決めて遊べる環境にしている。何でも大人が全部決めてしまうのではなく、子ども自らが考えて行動して、その結果についても責任を負う。そんな自分で決めることの大切さを大事にしている。

2.感情を出し切ること

子どもは泣いたり、笑ったり、怒ったり、感情が激しい。笑っていると嬉しくなるけど、泣いたり怒ったりを受け止めるのはやはり不快なのはよくわかる。だけど、それはその時の子どもの心の自己表現、必ず理由がある。それを大人が客観的に見てあげて「イヤだったね」とか、「痛かったね」とか、子どもの心に寄り添ってあげる。自分の心を受け止めてもらえると、子どもは安心して泣き止んだり、怒りをおさめたりする場面が生まれてくる。泣かせないとか怒らせないとかではなくて、子ども自身がマイナスの感情をいかにコントロールすることができるかということがとても大事で、感情を出し切ることを大切さを大事にしている。

3.体験すること

体験には2種類ある。1つは身体を使った体験。主に自然の中での体験で木登り、泥んこ遊び、落ち葉投げとか、汚れたり、ちょっと危ないとか、そんな体験の中で自分はここまで出来るとか、自分を知ることが大切。もう1つは心の体験。4、5歳くらいになってくると、友だち関係が深まってくるので、すごく仲良く遊ぶ。その反面、人間関係も、することも増えて、いろんないざこざが増えてくる。そんな中に、すぐに大人が入って何かを言うのではなくて、信じて見守っている。子どもたちはきっと自分たちで解決出来るだろうと見守っていると、本当に解決出来る。そういう姿を見せてもらって、イヤな想いをさせないということが大切なのではなくて、イヤな想いを自分でどう乗り越えていくのかということが大切な体験だと思う。心も身体もたくましく育ってもらえるように体験することの大切さを大事にしている。

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体験といえば、チューリップルームはよく歩いて出掛ける。近所の公園だけでなく、電車に乗って多摩川へ出掛けてみたり、高尾山や江ノ島まで遠足に出掛けたり。決してお天気がいいからというわけではなく、雨が降っていたってへっちゃらである。雨の日には雨の日なりの楽しみ方が、子どもたちにはあるからだ。カッパを着て、長靴を履いて、出掛ける。水たまりを見つけては、わざわざ飛び込んでみたりする。泥んこになったってへっちゃらだ。夏にはお泊まり会、秋には運動会やお芋掘り、クリスマス会、豆まき、忍者ごっこなどなど。子どもなら誰もが夢中になって楽しめる行事も盛りだくさん。

もともと、子どもが大好きだった。学生だった頃から、近所の子どもたちを自宅に集めて、遊ばせていたりしていた。将来、幼稚園の先生になりたいとか、保育士になりたいといいう夢は特になかった。いつしか将来について考えた時に、そんなに子どもが好きだったらと、先生に進められ、短大で幼児教育についてを学び、保育の仕事に就くようになった。

本当に本当に、根っから、しおは子どもが好きなのだ。天性の子ども好きだ。子どもを信じている。子どもを1人の人間として扱っている。そのままの子どもを受け入れている。それは、子どもとの信頼関係へと繋がっていく。

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「チューリップルームは、みんなのふるさとでありたい。」

そんな想いが、しおにはある。

子どもたちも、親も、共に働くスタッフも。何かあったら、何もなくても、いつでも気軽にふらっと帰ってこれるような、そんなふるさとでありたいと話す、しお。チューリップルームを卒業しても、小学校の帰りにふらっと寄ってくれたり、お話会やお泊まり会など、参加出来る行事がある時には喜んで参加してくれる子どもたちも多い。チューリップルーム卒業生で、チューリップルームの先生になりたいと話してくれている子もいる。あのSくんも、今では大学2年生。しおを第2の母として、今なお心から信頼してやまない。何かあれば、いつでも駆けつける。そんな信頼関係で結ばれている。そしてHちゃんも中学3年生。今でも、OBOGとして、お泊まり会やいろんな行事に参加しに訪れる。そしてまた親も、然りである。何かあれば、しおに相談に訪れる。その子のことを根本から知っているからこそ、どうして良いかと相談に訪れる親に対して、しおはじっくりと耳を傾けて話を聞いてくれる。子どもとしおの信頼関係=親としおの信頼関係=本来あるべき子育て&親育てへと繋がっていく。

子どもたちにとっても、親にとっても、チューリップルームはまさにふるさとなのである。

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子育てというのは、いくつもの壁が立ちはだかる。次々に現れる壁に、悩み、もがき、葛藤する。親になって初めて、自分よりも大切な大切な存在を知ることが出来る。子どもは生まれて来たばかりで何もわからないというけれど、親だって、初めて親になったばかりで、親についてのノウハウみたいなものは何もわからない。そこに気づけるかどうか。子育てならぬ子育ちと一緒に、親育ちしていける場所が、ここ、チューリップルームだと思う。子どもを我慢強く見守っていくというスタンスは、決して簡単なものではない。子どもの成長はもちろんだが、むしろ、親の方が成長させられて、鍛えられていく。だからこそ真の意味で、保育者と子、そして親が信頼で結ばれる、貴重な園のひとつ。ずっとずっと、あり続けて欲しい保育のカタチ。

 

川崎市宮前区 チューリップルーム

〒216-0005 宮前区宮前平2-9-23 ヒカリコーポAB 

TEL/FAX 044-865-6766

 

(2016年4~5月取材/2016.6.10公開)

(取材&文:笠原千恵子  カメラマン:青柳和美・笠原千恵子 写真加工:浅野真紀)