【みやまえ人探訪記】 川崎市宮前区長 野本紀子さん

秋の一日、宮前区役所に区長を訪ねました。区長に就任されて三年目。区内各所で、にこやかな笑顔で、区民と話されている姿を目撃された方も多いことでしょう。区長として仕事をされる上で大事にしておられる言葉は、『違いが豊かさとして響きあう社会へ』。そんな区長に、宮前区への思い、行政の役割、そして女性として仕事をするということなど、貴重なお話をたっぷりお聞きしました。

 

区長室で、野本紀子区長
区長室で、野本紀子区長

 


区長ミニミニデータ:

1957年生まれ。川崎市宮前区在勤・中原区在住(神奈川県川崎市出身)

1979年に川崎市役所に入庁、市と市民を結ぶ市民情報室、地域の文化を育む市民文化室や生涯学習部で文化財などを担当したのち、2014年4月から宮前区長。


 

――宮前区との最初の出会いは?

宮前区とはご縁があるって、自分でも思うんです。最初は、カッパーク鷺沼にできた土橋小学校開校(2006年)当時の視察。学校づくりのコンセプトを伺って、先生方がいらっしゃるオープンな職員室や、地域に開かれたホールを見て、これからは『地域のなかの学校づくり』を考えていく時代だって、すごく新しさを感じました。そして「宮前区って、そういう風土のまちなんだ」と思った。ちょうど10年前ですね。宮前区って素敵なまちだなー、という印象を持ちました。

カッパーク鷺沼:田園都市線鷺沼駅前にあった市立の鷺沼プールが、施設の老朽化と入場者数の減少などにより、平成14年度に閉鎖。その跡地を、「教育ゾーン」、「広場・公園ゾーン」、「運動施設ゾーン」、「福祉ゾーン」の4つのゾーンに分け、それぞれが、土橋小学校、鷺沼ふれあい広場、フットサル施設「フロンタウンさぎぬま」、さぎ沼なごみ保育園の4つの施設となった場所の総称。

 

――その後の宮前区との縁は?

2011年に教育委員会の生涯学習部に所属して、文化財を担当。ちょうど橘樹(たちばな)官衙(かんが)遺跡群(2015年に国史跡に指定)を保存することの検討が行われていた時期でした。古代の橘樹郡の中心が、高津区と宮前区の境界上にドーンと載っていた。古代には二つの区の分けはなかった。地面の下には縄文時代から何世代もの人類の暮らした跡が積み重なっていた。

我々の暮らしている土地って、空間的にも時間的にも大きな大きなつながりのなかにあるんだ、と思ったのが、宮前区との次の出会いでした。区長になって、あらためて、ここが過去からの宝が積もっている地域だと感じています。

古代(飛鳥、奈良、平安時代)の橘樹官衙遺跡群は、古代武蔵国(むさしのくに)橘樹郡の役所跡である「橘樹郡衙跡(たちばなぐんがあと)」とその西側に隣接する郡寺跡である「影向寺(ようごじ)遺跡」から構成され、2015(平成27)年3月10日に国史跡に指定。

 

―― 「違いが豊かさとして響きあう社会」ってどんなイメージでしょう

新設土橋小学校が目指す学校像のキーワードの一つが、『違いが豊かさとして響きあう学校づくり』という言葉でした。「違いが豊かさとして響きあう社会へ」という言葉は、当時の山田雅太校長先生から教えていただいたものです。

違いのある人が一緒に同じまちに住みあって、それが豊かさの源泉になる。でも、単純に違いのある人がそこにいるっていうだけでは違うのかな。お互いに関係性を持ち、共鳴し合ってこそ、豊かな社会なのかなって思っています。

宮前区はいろいろな意味で、そのことが具現化している地域かも知れません。

 

――宮前区で2年半。区長になられてから、見方や考えが変わったことなどありますか?

今、地域包括ケアシステムの構築という、みんなでお互いに支えあう地域社会をつくっていこうということが、改めて行政の施策上も重要な課題になっています。かつての行政と市民が向かい合っているという関係から、行政と市民が共に手を携えて歩んでいるという関係に、少しずつ変化しているように感じます。

私も長い間、皆様からいただいた税金で公共政策を実施していくという役割、福祉制度の担い手としての役割だけが、行政の役割と思っていたのですね。様々な制度は人間が長い時間をかけて築いてきた公共の福祉を社会システムとして具現化したもの。たとえば生活保護という制度は、自分で食べていけなくなったときに、「健康で文化的な最低限度の生活」が営めるように、みんなで支えていく制度。そうした制度を維持していくことは、誰のためでもない、自分たち自身や次の世代が生き延びるために、大事なこと。これは社会基盤として、行政はしっかりやっていかないといけない。

その一方で、たとえば、昔の村社会だったら、みんなで労力を出しあってやったことがたくさんあったのだけれど、今はそうじゃない社会になってきている。そういう意味では、公共に自分の力を出せる機会が減っている、とも言えるのでは?

こういう時代にも、自分たちのまちは自分たちで創っていきたいと思う人たちがいて、公共的な課題に自ら取り組んでいる。地域のなかで合意が形成されれば、そこを支援していくということも、行政の一つの役割なのかも知れないと、思うようになってきたんです。限りなく税金を集めて、自分の範疇からはみ出るところは、どこまでも人にやってもらうっていう世界が広がっていくと、個人はかえって息苦しいんじゃないかな。

地域包括ケア:諸外国に例をみないスピードで高齢化が進む日本で、団塊の世代(約800万人)が75歳以上となる2025年(平成37年)を目途に、厚生労働省が推進しているシステムで、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援を目的に、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)を構築する、というもの。

 

――人生における大切なことって・・・

作家が生涯をかけた作品を「プライスレス・ワーク」というでしょう。値段のつけられない、お金では買えない、そんなプライスレスなものを、人から人へ受け渡していく。お金に換算できない価値を、いかにこの世に積めるかっていうのかな。

人間は無一物で生まれて、無一物で去っていくのですが、例えば、生涯稼ぎ、生涯使い、その差が自分の生きた価値、人生の決算?そうじゃないでしょう?

この世は列車みたいなもの。誰もがどこかの駅で乗り込んできて、どこかで降りていく。同じ車両に乗り合わせたからには、お互いにおしゃべりしたり席を譲りあったりして、生きることの喜びを互いに享受してね。車内が平和で安心であるように、列車が良い方向に走り続けられるように、希望を託して、どこかの駅で降りていく。その繰り返しが歴史を作ってきたのかなー、なんて思っているんですね。だから私も、たまたま列車に乗り込んできて、ちょうど今60年くらい経ったわけですけれども、世の中に自分の思えるベストなものをつぎ込んでいけるといいなって。

宮前区に来て気づかせてもらいました。確信したっていうのかな。このまちには思いのある人がたくさんいる。列車の中には、思いを寄せあえる人がたくさん乗り合わせている。そんな人達に出会えた、というのが嬉しいですね。

 

――そんな宮前区の良さって、あまり知られていません。

宮前区の魅力を初めはみんな意外と知らないの。若い人はマンションを買うとき、まずは通勤に便利な沿線を決める、その次は安全性や環境などを調べて、そして自分たちの生活がしやすいところに引っ越すのだそうです。宮前は市民意識調査では、「区外へ引っ越したい」が全区のなかで一番多い(平成27年度市民アンケート結果)のです。坂道が多いので高齢になったら不安、とか、都会志向でいつかは川を越えて都内に暮らしたいという人も少なくはない。でも、いったんこのまちの魅力を知った人は、そうではない。宮前の魅力は奥深くて、開発前の雑木林をそのまま活かした公園が街に点在していたり、農家の庭先の直売所の朝採れ野菜がそれはそれは美味しかったり、何よりも人の心が温かい、知るほどに、ここから離れがたくなります。多くの人に良さを知ってもらいたいですね。

 

――このまちの人の魅力って何だと思われますか?

このまちの人達が持っている感性。生きることを一緒に楽しむっていうのかな。本当の豊かさを知っている人達が多いです。まちに求める基準も、とりわけて便がいいとか、とりわけて効率化が進んでいるというのからは、違う極にあるかな。まちに愛着を持って、丁寧に毎日を暮らしているという感じ。古い人も新しい人も、まさに「人が好き、緑がすき、まちが好き」なんですね。新しく来て、どうしようかなって途方にくれている人には、「ぜひ、一緒にっ!」て、思っている人がたくさんいる。

いま、宮前区のあちこちに地域カフェやサロンと称する場が、たくさん生まれているんですね。今は、インターネットでも簡単につながれるけれども、あえて顔をあわせてコミュニケーションしたい、っていう時代なのかも。あっちこっちで芽を出している地域のカフェを、それぞれ大事に盛り立てたいと思っています。「みんな違って、みんないい」ですもの。

人が好き、緑がすき、まちが好き:宮前区のキャッチフレーズ

 

――働くってなんだろう。宮前区は子育て世代が多く、働きたいと思っている主婦もたくさんいます。

(市民がまちのなかで)いろんなことをやっていくときに、これからは仕事になるっていうのも大事だと思うんです。世の中の役に立ちたい、いい社会をみんなで作りたいと思うときに、どうやってその大きな流れと自分がつながったらいいんだろうって、子育て中とか、真剣に思うんですよね。

特に子どもを持つと、複眼になるというか、自分のことだけを考えるんじゃなくて、この子の分まで私が考えてあげなかったら誰が考えるんだろうって思うと、ものの見方が圧倒的に進化する。それは介護でも同じです。

そういう力を世の中に活かせるようにしたいなと思う。誰でも、どんな形でも、その人の持てる力をちゃんと活かして暮らせるようにしていくのが社会の役割。人間の社会はそのシステムを作ったからこそ、やってこられたのであって、人の最も良質な部分を社会の中につないでいけるようにしないと、人の社会はいいものになっていかない。

今の若者の問題も同じだなって思うの。単純に、非正規か正規かが問題ではなくて、それぞれの若者が持っている力を、社会のよき方向に注げるように活かしきれていないのが、問題かなと思う。

今みたいな働き方、黒か白かじゃなく、たとえば短時間正社員とか、社会事業を起こすとか、そういう人間らしい働き方、力の合わせ方が生まれてきて然りと思う。

 

――区長はお子さんはいらっしゃいますか?

子どもは3人いるんですよ。私ね、妊娠中に切迫流産になったんです。それまで体だけは丈夫だったのが、職場で体調がおかしくなって、そのまま入院。3週間べッドにはりつけ。こんなの初めて、大丈夫かなって思ったの。その頃はまだ結婚退職や出産退職が多かった時代で、どうしようと思って。その時に、「自分は労働力としては、いびつなんだ」って、初めて実感したんですね。でも、人間は誰でも体調を崩すこともあるし、どこか不自由なところもあるでしょう?労働力としてはいびつなのが、人間としては普通だってことに、初めて気づいた。

そうだとしたら、みんなが人間として普通に生きられるのが、人間社会の在りようだって思ったんですね。それまでは女に生まれて残念って思うことがあったんです。女の子は家事優先って育てられて、損してると思ったこともあったし。でも、その時、ふわっと、自分の価値観が逆転した。どっちに生まれてもよかった。比べるより、与えられたものを生かす方が大事って。

いろんな形があって、いろんな生き方があるのが人間。一生懸命生きて、お互いを温かい気持ちで応援し合いたいですよね。

 

≪インタビューを終えて≫

2015年夏に、私たち、宮前まち倶楽部が開催した「みやまえ人発掘ワークショップ」で、会場に区長がおられてびっくりしたことがありました。「今日は私人として参加しているからー」とにこやかにおっしゃる姿に、感激すると同時に、一度ゆっくりお話をお聞きしたいと、ずっと思っていました。

今回、インタビューをするなかで、何度も、「うーーん、なんていうのかな・・・」と言いながら、時間をおいて、言葉を大切に選んで答えてくださる姿に、「人が好き、緑が好き、まちが好き」の宮前区そのものの区長だと、嬉しくなりました。取材に応えていただき、本当にありがとうございました。

(2016年9月取材)

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